僕が「世間から注目を浴びたかった」理由って?

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子供の頃の夢は「ウルトラマンになりたい!」でした。

僕は、世間から注目を浴びたい子供でした。

小学生の頃にはサッカーチームに入部し、注目を浴びようとしました。

中学校を卒業し、オートバイに夢中になりました。

オートバイで、世間からの注目を浴びようとしました。

しかし、オートバイで事故を起こしてしまって、

歩けない体になって車椅子を使って生活をすることになりました。

もう、僕の人生は終わったと思っていました。

 

あっという間に1年が過ぎ、車イス生活にも慣れました。

社会復帰のための訓練を受けました。

就職するための職業訓練も受けました。

そして、就職し結婚までして社会復帰が出来ました。

 

社会復帰しましたが、頑張り過ぎて体を壊してしまいました。

体を壊してしまって、心までも壊してしまったんです。

離婚をし、人間関係に失望し、人生に挫折しました。

 

体を壊して、動かない両足に「床ずれ:褥瘡」がたくさん出来ました。

自分でガーゼ交換をしていたのですが、

結局、傷口が悪化してしまって、両足を切断することになりました。

 

どちらにせよ、動かない両足。

両足を失っても、それほどの支障はありません。

しかし、手術が終わってしばらくの間、下半身を見ることが出来ませんでした。

 

1年間の入院を経て退院し、それから10年ほど、引きこもり生活をしました。

家から1歩も出ずに、毎日、インターネットで交流していました。

友達がたくさん出来ました。

引きこもりといっても、心は元気でした。

ただ、インターネットがあるから、出歩かなくても済んだのでした。

 

インターネットが無ければ? 僕は出歩いていたと思います。

 

インターネットでは、「オンラインゲーム」に夢中になりました。

たかがゲームですが、プライドを持ってやっていました。

ゲームというよりも、プライドを懸けた戦いのような感じでした。

 

やはり、オンラインゲームの中でも、僕は注目を浴びたかったんです。

だから、ゲームのテクニックを磨いたりだとか、それはそれは必死でした。

必死ではありましたが、ゲームが楽しくて、好きでした。

好きだから、必死になれたと思います。

 

あっという間に10年が経ちました。

そうすると、またも、僕に試練がやって来ました。

「慢性腎不全」という病気になってしまったんです。

 

何だか、呼吸がしずらくなっていました。

食事が喉を通らなくなりました。

大便も、小便も出なくなりました。

そういう生活が1週間ほど続いた時に、いよいよ息が出来なくなって来たんです。

僕は思いました。

「俺、死ぬんだな。」と。

 

死への恐怖よりも、呼吸が出来ない苦しみの方が強かったです。

とにかく、息が出来なくて苦しくってね。

 

遅かれ早かれ、死んだら病院へ行くだろうと思って、

自分で救急車を手配しました。

そして、病院へ到着するなり、病気の中毒症状が悪化しました。

幻覚が始まって、幻聴が始まって、意識がもうろうとしたのでした。

 

入院し、4日目の朝、僕の心臓が止まりました。

 

心臓が止まった時のことを今でも覚えています。

とにかく、息が出来なくて苦しかったんです。

目の前に看護師さんがいるのですが、声が出せません。

 

息を止めて我慢しているような状態でした。

そうすると、体が飛び跳ねるているような感覚になりました。

 

もう、ダメだと思いました。

死への恐怖よりも、この苦しみからの解放の方が強かったです。

そして、僕はあきらめました。

必死に息をしようとすることを、あきらめたんです。

だって、息をしようと思っても出来ないのですから。

 

それで、僕は息をしょうとするのを止めて、目を閉じました。

最後に、心の中で思いました。

 

「仕方がないな。」

 

僕の心の中の遺言が、「仕方がないな。」でした。

 

目を閉じた瞬間、部屋の電気を消したかのように真っ暗になりました。

目を閉じて、体の力を抜いた時、心臓が止まったようです。

その時は、痛みもなくて、ただ、真っ暗になったことだけ覚えています。

 

目の前に看護師さんがいたので、今の僕があります。

 

人工透析が始まって、中毒症状もおさまりました。

人工透析が始まって、あっという間に5年が経ちました。

今、僕は何をしているかというと、家族と同居しながら、

これからの人生の準備をやっています。

これからの人生に目標を掲げて、目標に向かって生きています。

 

そして、やはり、世間の注目を浴びようとしているようです。

ストリートワークアウトといって、公園でトレーニングをやっています。

ストリートワークアウトには、いろんな「技」があります。

その技を極めるために、公園でトレーニングをやるんです。

 

ストリートワークアウトの技をマスターするのは至難です。

健常者の方々でも、必死に努力しないといけないです。

僕は、両足が無いから、技をマスターしやすいです。

それは、僕としては何だか悔しくてね。

「お前は、足が無いから出来るんだよ!」と、

そういう目で見られるのが悔しいのです。

 

だからこそ、健常者の人達から、そういうことを言われないように、

更にハードな技をマスターしようとしています。

 

僕の肉体は、正直言ってボロボロです。

脊髄を損傷していて、下半身の感覚が麻痺していますし、

両足もないし、慢性腎不全で人工透析まで受けている。

でも、ストリートワークアウトをやって、物凄い技を極めようと努力しています。

 

それは、「世間から注目を浴びたい」からなんですよね。

 

僕は、なぜ?

そんなにまでも、世間から注目を浴びたいのでしょうか?

 

僕は、最近になって、その理由が解って来ました。

アドラー心理学を学んでいると、理由が見えてきたんです。

 

僕が、世間からの注目を浴びたいと思うのは、

「かまって欲しい」・「愛されたい」という事だったんです。

 

というのも、

僕はどうやら、「親の愛」に飢えていたようです。

 

僕の家族は6人家族でした。

父と母がいて、

①姉、②僕、③妹、④弟の、4人兄弟でした。

アドラー心理学を学んでいると、この生まれた順番が、

自分の性格や人格を形成に影響を与えるそうなんです。

 

父は、姉と妹を溺愛していました。

母は、末っ子の弟を溺愛していました。

僕は、父にも、母にも相手にされず、いつも孤独でした。

 

遊ぶ時も、いつも1人でした。

 

親からの愛情を受けたいと思ったことはありません。

愛情を受けたいだとか、そういうことすら理解できていませんでした。

 

ただ、ただ、

「俺は、他の家で生まれた子供なのかな?」と思っていました。

「俺だけ、父や母から相手にされてないよな?」って思っていたんです。

また、親から愛情を受けないのが「普通」でした。

親から愛情を受けたいとも思っていなかったと思います。

 

親から愛されていないのが、普通だったんです。

 

しかし、僕が小学4年生の頃でしょうか、

ある事がきっかけで、親の愛情というものに飢えを感じたんです。

 

その日は「すき焼き」を食べていました。

父の横には、姉と妹が席に付いています。

母の横には弟が席に付いています。

すき焼きの鍋から、一番遠い場所に僕の席があります。

 

僕がすき焼きの鍋から、何をか取ろうとする時、

立ち上がって手を伸ばさないと鍋に届かないんです。

 

それで、立ち上がって手を伸ばして、

手の届く所にある白菜を取ろうとした時に父に怒鳴られたんです。

「肉ばかり食うな!」と怒鳴られたんです。

 

僕は、その日、肉を1度も食べてい無いんです。

 

手が届く場所には、白菜や、糸こんにゃく、ニンジン、そういった物しか無いんです。

肉は、姉と妹の目の前に山盛りにしてあるんです。

母は、弟の肉を皿に入れてあげていました。

 

その日、肉を食べていたのは、父、母、姉、妹、弟だけでした。

僕は、立ち上がって手の届く所にある物しか食べれなかったんです。

 

そして、目の前にある白菜を取ろうとしたら、

父から「肉ばかり食うな!」と怒鳴られるんです。

 

肉になんて、手が届かないんです。

 

普段、父が帰宅するのが遅くて、家族で食事をする機会がすくないのですが、

そうやって、月に何度かは、家族で食事をすることがありました。

 

その、すき焼きを食べた時に、

僕は、親からの愛に飢えていると感じたんです。

というか、

僕だけ仲間外れをされている感じで辛かったです。

それも、家族から。

 

そういう家庭でそっだったので、

何だろう、僕は人を信用しない性格になったかもしれません。

愛情というのを知らないかもしれません。

 

子供は、親の愛情を受けて育つとも思います。

僕は、親の愛情をしらないのかも。

 

今も、その名残があります。

 

今、家族と同居しています。

母、弟、僕、の3人で暮らしています。

 

僕の食事は、いつも「冷や飯」なんです。

残ったご飯を、レンジで温めて出されるんです。

 

母と、弟のご飯は、いつも「炊き立て」なんです。

 

母は料理が苦手です。

いえ、母が料理が苦手だと思っていました。

いつも、僕には冷凍食品などが出されていましたから。

 

しかし、弟の食事は、母の手料理なんです。

 

僕は冷めた冷凍食品や、

弟の食事の残り物を食べる残飯処理係のような。

 

いつも食べていた「冷や飯」がね、臭くてね。

母がね、

残った米を、冷蔵庫に入れないでテーブルに放置しているからです。

 

炊き立てのご飯が食べたい訳ではないです。

ただ、生臭い米を食べたくなかったんです。

それで、今はお米を食べないんです。

いえ、冷や飯が臭くて食べれないんです。

いくら、レンジで温めても、臭くてね。

 

何だろう、僕は家族からの愛を求めないで、

世間から慰めて欲しかったのでしょうね。

世間から注目されて、僕の生い立ちに同情して欲しかったのでしょうね。

「俺って、可愛そうな人生だろ?」って、

世間の人達から同情されたかったのでしょうね。

 

人の行動には「目的」があるそうです。

目的があるから、人は行動に移すそうなんです。

 

僕には、ハンディキャップがあります。

そのハンディキャップを利用して、

努力をすれば、世間からの注目を浴びる。

そして、世間から慰めて欲しかったんです。

 

僕の、このような性格は、

生まれた瞬間から、10歳になるまでの間に形成されたようです。

10歳になるまで、父や母からの愛情を感じれなかったのでしょうね。

 

だから、他人の愛し方も、愛され方も知らないのかな。

 

僕が10歳の頃ってね、父や母も「若い」のです。

若い、未熟な大人の両親が、子育てをするんです。

50歳、60歳の成熟した大人が、子育てをするのとは訳が違うんです。

 

父も、母も、同じように、未成熟の両親に育てられたんです。

家族、家系って、そんなものでしょうね。

 

だから、親を責めるのは筋違いだと思っています。

 

今の、社会の大人が、

愛情をもって子供を育てる意識を持たないといけないのかなって。

 

僕は思います。

大人の学校って必要かも。

 

アドラー心理学を学んでいると、

物事の「因果関係」がよく理解できます。

もっと、アドラー心理学が、社会に浸透して行けば嬉しいです。