50歳になって、僕が「HSP」という気質を持っていることに気が付きました。
HSPということで苦痛を感じていたことがあります。
「家族の生活音」でストレスが溜っていました。
しかし、今では、家族の生活音への「対策」をしていますので、
ストレスを溜めなくて済むようになってきました。
また、家族の生活音に対して、
「何で、あんなに迷惑な音を立てるのだろうか?」と、
人の心理について学ぶようになり、僕の心理も学ぶようになりました。
アドラー心理学の本を読んで学んでいるんです。
アドラー心理学を学んで心を鍛えています。
そして、筋トレをやって肉体を鍛えています。
晴れた日には、家の近所の公園でトレーニングをやっています。
こうして、心と肉体を強化していると、HSPという気質が苦ではなくなりました。
HSPという気質は「敏感なだけ」なんです。
世の中には敏感な人もいますが、鈍感な人も多いです。
無神経な人もいれば、残酷な人もいます。
この地球上には、色んな気質を持った人達が暮らしていて、
お互いの気質を認め合って、折り合いをつけているのが社会です。
その社会に適応できない人達は、社会から追いやられ孤独になるんです。
その、社会に適応できないというのは?
それは、「弱さ」だと思うんです。
弱いから、色んな気質を持った人達が交わる社会に適応できないんです。
じゃあ、強くなればいいんじゃないでしょうか?
自分が強くなれば、
・社会で暮らす人達の気質を認めて、
・社会との折り合いを付けて、
普通に生活ができるのではないでしょうか?
僕は、自分がHSPだと知った時、
これまでの人生の中で苦痛を感じていたことがハッキリ理解出来た。
ああ、HSPという気質があるから、苦痛だったのっだなって。
苦痛を感じ、その苦痛を跳ね返せなかったから苦痛を味わったのだろうなって。
僕に、苦痛を跳ね返す力があれば? 苦痛を味合わなくて済んだのです。
幼稚な例えですが、
殴り合いの喧嘩をやったとき、殴られると痛いです。
痛くて苦痛を感じると思います。
苦痛を感じたくなければ、「殴られなければ良い」のです。
殴り合いの喧嘩になったら、殴られる前に相手をぶっ飛ばせば良いんです。
また、殴り合いの喧嘩をしなければ良いんです。
それよりも、殴り合いの喧嘩を吹っ掛けられないくらいに、
自分が喧嘩に強い人間になれば良いんです。
いえいえ、人から尊敬されるような人間になれば良いんです。
僕が学んでいるアドラー心理学では、
人の悩みは「すべて人間関係によるもの」だと言われています。
人は、他人と自分を比較して「劣等感」を持ちます。
その劣等感は悪いものではありません。
・劣等感を感じて、努力する人がいます。
・劣等感を感じて、諦める人がいます。
劣等感は、人間なら誰しも持つ感情で、
劣等感の「使い方次第」で、「人生が大きく左右」するようです。
僕は、劣等感を感じた時、
「なにクソ!」「アイツに出来るなら、俺にもできる!」
このように、劣等感をバネにしています。
僕がHSPという気質を持っていることに気づいてからは、
HSPという気質に劣等感はありませんでした。
「ただ、敏感なだけ」なのですから。
HSPだから、人付き合いが苦手だというのは、
HSPを引き合いに出して、HSPを免罪符としているだけかなって。
誰しもが、人付き合いなんて苦手なんです。
苦手だけど、
・相手の気質を認め、
・相手と折り合いを付けているのです。
相手の気質を認めないで、相手と折り合いを付けれないで、
ただその場から逃げようとするために、
「私はHSPなんです・・」と言い訳をするんです。
実は、自分が気が小さくて何も反論出来ないんです。
そういった劣等感があって、その劣等感がバレたら恥ずかしいから、
「私はHSPなんです」と口実を作ってしまうんです。
僕は、アドラー心理学を学んで心が強くなってきました。
今までは、相手に反論したくても勇気がなかった。
でも、今は、相手に言いたいことを言えるようになって来た。
そして、筋トレをやって肉体を鍛えています。
それは、「強さ」を得るためです。
自分自身を「誇れる強さ」を手に入れるためです。
50歳という年齢で、物凄い「技」が出来るとなると、社会から一目置かれます。
「凄いな、あのオッサン!」って。(笑)
僕が、このような技をやっていると、大体の人は「凄いですね!」と言います。
こうして、社会から「凄いですね!」と言われるようになると、
僕は嬉しくてなりません。
また、自分が「認められ」て、「強くなった」実感が得られました。
人間には「承認欲求」があります。
社会から認められたいという欲求があるようです。
僕は、HSPだから気が弱いのではなくて、
ただ知識と体力がなかっただけでした。
知識と、体力が増えて、
僕は自分がHSPだと苦痛を感じる事がなくなりました。
それどころか、
自分が持っているHSPという気質をフル活用しているようです。
敏感という気質を使って、自分を更に強くしています。
子供の頃、カゼを引いて学校を休むクラスメートを見て、
「うらやましい」と思う事がありました。
しかし、遠足の日に、
体調が悪くて遠足に行けないクラスメートを見て、
「かわいそうに」と思う事もありました。
つまらない人生を過ごしていると、
「HSPって生き辛いよね・・・」と思うでしょう。
楽しい人生を過ごしていると、
「HSPって便利だよね♪」と思えるでしょう。
僕は、そのように思うんです。
心のあり方だなって。
僕が使っているパソコンは、ゲーム用のパソコンなので、
オンラインゲームでは、サクサク動いていました。
言い換えると、とても敏感なパソコンです。
それがね、安価でスペックの低いパソコンなら?
重たくて鈍感で、イライラして来ます。
HSPという気質は、とても敏感なだけなんです。
その敏感さを利用して、人生をサクサク生きれたら嬉しいです。
僕は、鈍感に生まれてくるよりも、
敏感に生まれて来て良かったと思っています。
心と肉体を鍛えれば、
HSPという気質が思う存分に活用できると思います。
HSPという気質を「苦しい」と感じるのは、
それはHSPを免罪符にしているからです。
自分の弱さを隠したいからです。
自分の弱さを認め、心と肉体を強化すれば、
HSPなんて、何も問題は無いんです。
いえ、HSPが便利なものになると思うんです。
HSPを不便に感じるのは、自分が弱いからです。
強くなりたければ、
アドラー心理学を学んで、筋トレをやれば強くなれます。
もし、肉体を鍛えることが出来ない場合は?
他のことで鍛えれば良いと思います。
頭脳を鍛えるだとかね。
自分を誇れるものを、何か1つでもいいから作ると良いです。
そうすると、勇気が養えます。
その勇気が、更なるチャレンジ精神を生んでくれます。
「私はHSPだからな・・」
というのは、劣等感を感じて逃げているだけです。
僕は、そう思います。
僕が持っているHSPという気質は、
人生を楽しく、豊かにしてくれる素敵なスキルです。